山田文庫のあゆみ

山田文庫は、高崎倉庫株式会社の社長 山田勝次郎と、その妻・とくの「子供たちへ本を」という強い想いと、その想いに賛同した多くの人々の協力のもと、昭和49年(1974年)6月に創設された公益財団法人です。

このページでは、創設者・山田勝次郎とその妻とくの経歴と、山田文庫のあゆみをご紹介いたします。

山田勝次郎と妻とく

山田勝次郎・とく夫妻山田(旧姓・蝋山)勝次郎は、明治30年(1897年)10月7日、高崎市歌川町で、蝋山政次郎・キチの二男として生まれました。

その4年後の明治34年(1901年)10月5日に、山田とくが、高崎市常盤町で、山田昌吉・はなの長女として生まれました。

とくの父・山田昌吉は、当時、茂木銀行の支店長や高崎倉庫株式会社の社長を務め高崎市における澁沢栄一と称されるほどの、高崎の経済の中心人物として活躍していました。

その昌吉が商業会議所の会頭を務めた時の副会頭が蝋山政次郎で、ふたりは公私ともに厚い信頼関係で結ばれ、家族ぐるみの付き合いでした。

勝次郎は、家の事情で、子供の頃は新潟県柏崎市の祖父母に育てられており、 旧制柏崎中学校 ・ 旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学農学部農業経済学科に入学しました。

そして、大正11年(1922年)4月に同大学を卒業し、その後の11月にとくと結婚し、山田に改姓しました。

勝次郎直筆の書:若いとき やれるだけやれ 思うこと 人間(ひと)と生まれて人物(ひと)となるため勝次郎は、その後、1925年(大正14年) 京都帝国大学農学部の助教授に就任し、1926年(大正15年)には文部省在外研究員として妻とくと共にイギリス、ドイツ、フランスで外遊、1930年(昭和5年)からは民間の研究所で農業経済の研究を行っていましたが、昭和19年(1944年)、義父である昌吉の死去に伴い、高崎倉庫株式会社の社長に就任しました。

経営者となった勝次郎は、高崎の駅前に高島屋を誘致するなど見事な経営手腕を発揮し、自社のみならず、高崎市全体の経済の発展に貢献しました。

その一方で、当時は、戦時中のために非合法だった共産主義に夫婦で傾倒し、共産党の大物を匿って自宅を警察に監視されたり、勝次郎自身が刑務所に勾留されてしまうなど、多くの困難もありましたが、信念を曲げることなく、互いに手を取り合って乗り越えたそうです。

そして、とく自身も、勝次郎の妻として夫を支える一方で、日本とソ連の交流に尽力し、株式会社日ソツーリスト・ビューローの取締役に就任するなど、当時はまだ珍しかった職業婦人として世界を舞台に活躍しました。

ふたりは、共に読書が大好きで、家にはいつも本がたくさん置いてあったそうです。

そして、互いを「勝次郎さん」「とくさん」と呼び合い、親しい人の間ではおしどり夫婦として有名な、仲の良い夫婦でした。

山田文庫のはじまり

図書室に設けられた「山田文庫コーナー」昭和49年(1974年)6月18日、山田勝次郎ととくは、これからの子供たちに読書の楽しさや素晴らしさを伝えようと、私財を投じて、群馬県全域の僻地の学校や養護学校をはじめとした小学校・中学校・高等学校の図書購入費用を助成することを目的に、財団法人 山田文庫を設立しました。

この事業は、図書購入費用の不足に悩んでいた学校関係者や、本を読んだ子供たちに大変な好評を博しました。

図書室に助成した購入費で買った本を集めた「山田文庫コーナー」を設置する学校も多く、今でも、助成した各学校の関係者や子供たちから、続々と感謝の手紙や写真が送られてきます。

勝次郎・とくからの贈り物

貴重な現在では入手できない書籍文庫設立から8年後の昭和57年(1982年)6月7日、心不全により、山田勝次郎が84歳にて死去しました。

遺言により、山田勝次郎が生前に所有していた不動産や証券などのほとんどの財産が、山田文庫に遺贈されました。

ところが、当時、経営していた会社の株などを含む高額な遺産を財団法人に全て遺すという行為自体が、“財産隠し”や、“相続税逃れ”ではないかと税務署より疑いを掛けられ、なかなか認可が下りませんでした。

しかし、当時、文庫の会計を任されていた、松本会計事務所の松本武夫氏の熱心且つ地道な説得により、「子供たちに読書の楽しさや素晴らしさを伝えたい」という勝次郎の強い遺志が国税局に伝わり、ついに認可に至ったのです。

自宅が山田文庫の所有となってしまったため、私的使用が認められず、とくは、勝次郎との思い出が詰まった住み慣れた自宅を離れ、上大類病院の敷地内に引っ越すことになってしまいました。

勝次郎の死去から8年後の平成2年(1990年)5月28日に、とくが88歳にて死去しました。

とくも夫・勝次郎と同じように、ほとんどの財産を山田文庫に遺贈しました。

山田文庫は、夫妻の子供として、現在も、ふたりの強い想いに支えられて運営しています。

市民の憩いの場に

山田夫妻、勝次郎の実弟・小山長四郎氏などから遺贈された貴重で膨大な蔵書を一般に開放し、市民の生涯教育に役立てようと、平成3年(1991年)9月1日、住居の一部を解放して、図書貸し出し業務を始めました。

貴重な文化財である、明治の木造建築の中には、今では手に入らない貴重な本から、人気作家のベストセラーまで取り揃え、市内の本好きが集まり、くつろぎながら読書やおしゃべりを楽しむようになりました。

また、平成10年(1998年)には「第3回 高崎都市景観賞」受賞、平成12年(2000年)には「高崎市景観重要建築物等」に指定され、古き良き時代の雰囲気を残す建物を目的に訪れる人も多く、現在では、市民の憩いの場としての役割も担っています。

参考図書:山田文庫30周年の歩み/あさを社刊

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